小説「フィルター」③

 何一つ生み出さない時間が流れていく中、変化したことといえば、少女との距離が縮まり、彼女の口数が増えたことくらいであった。強いて付け加えるならば、クロは少し大きくなったような気がした。

 

 慣れとは恐ろしいもので、平和な病院生活には嫌気がさしてきた。怠惰であり続けることは僕には向いていなかったらしい。そんな中、彼女がもうすぐ退院をすることがわかった。変化のない病院内に訪れた変化をきっかけに、僕は完治したふりをして彼女と同時期に退院することを画策し始めた。

 

 シミュレーションをしてみると、それは案外簡単だった。他人と話をする際には、相手だけに意識を向けていればいいだけであり、ゲームやテレビを見るときも集中していれば、黒い生き物と関わることはなかった。見え始めた頃は、「見えていないふり」をすることを意識していた。しかし、やっていたことは特殊なことではなく、黒い生き物が見えていないときと同じことであった。まあ、会話や作業をしているときに限りではあるが。

 

 他人がいるときには、不自然な視線をなくすことと、独り言に気を付けることが必要となったが、これは大して難しくなかった。構ってもらえない不満そうなクロを横目に僕は実践を重ねていった。

 

 僕の病院での生活は呆気なく終わった。これほどまでに入退院が個人の思う通りになるのであれば、病院というのは使いようによっては便利な施設かもしれない。もちろん多少の出費に目をつぶればではあるが。

 

 小さな彼女とは、その後も二人で一つのような関係を続けるつもりはなかったが、非常に稀な症例の人間と出会った縁ということで、連絡先だけは教えてもらっておいた。

 

 再び投げ出された日常は前とは変わらないものであったが、絶え間ない変化があり、心は踊った。しばらくは戻ってきた生活、空間、情報、ある意味での不自由さなどを楽しむことにした。

 

 2か月ほど経った頃だろうか。ふと、自分の症状を調べてみようと思った。医者でさえ治せなかったこの症状の仕組みというか原因というかが、とても知りたくなった。インターネットで調べてみると、僕と同じような症例がたくさん並んでいたが、どれも多少自分と違っており、継続的に統一性のあるものが見え続けるというようなものはなかった。不思議な経験が一瞬で解明できるとは期待していなかったので、何か手掛かりが見つかればいいなという心構えだった。

 

 その後も、気が向いた時にはパソコンに向かい、お気に入りの曲を聴きながらだらだらと検索ワードを変えて、自分の見えているものや、クロのことを調べていたが何も収穫がない日が続いた。

 

 僕が調査を始めて、4か月ほど経った頃だった。幻覚症状が見られる精神病について調べつくし、それまでにたくさんの症例を見てきた。同じような症例が出てくることが邪魔くさくてたまらなかったので、検索する際に病気に関する結果を除外した。

 

 すると、とある集団のページがヒットした。そのページは、公立の小学校のホームページのような簡易なつくりで、明るい印象がつくように工夫しているように見えた。そこには、僕と同じ黒い生き物が見えるようになった人が集まっているようだった。治療を目的とせず、情報の共有や、同じ境遇の人との関係作りを行っている様子が紹介されていた。

 

 多少の怪しさは感じながらも、僕はそこへ行ってみることにした。一人で行くのは多少不安だったので、病院にいた少女も誘うことにした。彼女に事のあらましを話したが、彼女は最初抵抗を示した。しかし、見知らぬ場所へひとり向かう勇気もなかった僕は、半ば強引に約束を取り付け、彼女に渋々ではあるが了承してもらった。

 

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